Uncompromising  Products.

気持ちをねて
妥協のない商品をおけします

SCROLL

1951年創業の馬見靴下事業協同組合は、日本一の靴下産地、広陵町にて靴下 、ニットインナーなどのニット製品 の企画、生産に取り組んでおります。
日本製ならではのふんわりとした履き心地が特徴のWシリンダー 編機や、
無縫製で立体編成が可能な最新のホールガーメント®など、
数種類の編み機が毎日稼働しており 、多種多様なOEMに小ロットでお応えしております。

各種設備の紹介

Introduction of various equipment
靴下

ホールガーメント®

ホールガーメント ホールガーメント ホールガーメント

通常ニットウェアは前身頃、後見頃といったパーツを縫い合わせますが、対象的にホールガーメント®は一着まるごと編み機から直接、立体的に編みあがりますので縫製の必要がありません。そのため、体のラインに自然にフィットする、伸縮性に優れたニットウェアの生産が可能です。また縫い代のごわつきがないので、着用した時の肌触りのよさも特徴です。

靴下

丸編み機

丸編み機 丸編み機 丸編み機

凹凸で柄を表現でき、ふんわりとしたボリュームと伸縮性に優れた靴下が編めるWシリンダー機をはじめとした、針数の少ないローゲージの機械を中心にそろえています。ざっくり柔らかい風合いが特徴のローゲージの靴下は締め付けが少なく適度にフィット感のある心地よい履き心地が特徴です。

カッター

カッター

丸編み機から一本に繋がった状態で編まれて出てくる靴下を切り離す行程で使用します。カッターに生地をセットして奥に押し込むとセンサーが反応して刃が動きます。

縫製

縫製

靴下のつま先を縫う工程で使用します。縫い目を靴下の裏側にできるように生地を裏返してから縫っています。

商品ができるまで

Until product is made

“メイドインジャパン”の価値と魅力を取り戻すべく、自社生産へ力を注いでまいります。OEM生産においても、納期の短縮と品質の向上を掲げ、機械の導入と工場の拡大を進めております。

STEP01

原糸の仕入れ

企画 仕入れのイメージ

商品のデザインが決まったら、原糸・素材を選定します。
糸の太さや素材の特徴などを考慮し、最適な糸を選びます。

STEP02

編み立て

編み立ての機械 縫製の機械

使用する原糸が決まったら技術者がサンプルを編み立てます。
サンプル品をもとに⾧さや生地の伸縮性などを調整し、本生産の編み立てにとりかかります。それぞれ専門の職人が調整をしながら編み立てていきます。

STEP03

セット/加工(検品袋詰め)

機械にセットした靴下 検品

編み立てられた商品は素材に合わせて洗いやタンブラー乾燥を行い蒸気でセットします。この工程で素材の良さを引き出すと同時に、サイズや形を整えます。
仕上げに不良や汚れがないか、目視で検品を行いタグ付けや梱包などの
パッケージ加工をしていきます。

STEP04

検針/納品

包装された靴下 梱包された商品

梱包された商品は、針や金属の混在有無を確認、検査する機械に通して最終チェックをします。そして、お客様のもとへ出荷します。

日本一の靴下生産地

HISTORY 01

いまから100年以上前の明治四十三年に旧馬見村大字疋相の実業家である吉井泰治郎氏がアメリカ視察から現在の広陵町へ靴下編み機を持ち帰り、靴下生産を始めました。これが“靴下の町 広陵町”の始まりです。当時の編み立機はすべて手動によるものでした。
第一次世界大戦が起こるといわゆる大戦景気で靴下生産戸数は6件から30件にまで達しましたが、戦争が終わると大正十二年の暴落の影響で輸出もできなくなり靴下加工業は衰退していきました。

手動の機会で靴下を編む様子

手動の機会で靴下を編む様子

染色工程で靴下を洗っている様子

染色工程で靴下を洗っている様子

大正末にはアメリカから自動の機械が日本へ入ってきましたが、高価(当時の千円)で熟練も難しく機械の修理所も無いことから 靴下加工業の復興は容易ではありませんでした。やがて昭和へ入りB式と呼ばれる日本製の編み立て機や、リンキングと呼ばれるつま先部を縫う機械が登場し普及していきました。その後は高級柄編機械が広陵町全域で取り入れられて精巧な柄の靴下が編めるようになり、昭和三十年頃にはゴム糸を自動的に切り継ぎをすることができる機械も登場し従来の手まわし機の3~4倍の能率をあげることが可能となりました。またウーリーナイロン糸の登場により飛躍的な発展を遂げ、質・量ともに全国一の規模を誇る伝統ある靴下産地として成長しました。

靴下のルーツ

HISTORY 02

文献的には2世紀頃、すでにエジプト人が足袋のように親指と他の四本の指に別れた靴下を履いていたと記されています。 しかし、これは靴との区別がつきにくく、靴下のルーツとは言えません。現在のような靴下の起源は西暦約1000年前後、気候の寒い北ヨーロッパで、絹・薄い毛織物・細糸の綾織木綿・毛布などを裁断して縫い合わせたふくらはぎ丈の短いものが用いられるようになったとされています。この頃は防寒が主目的で靴下がファッション性を持ち始めるのは、1400年代に入ってからのことです。

エジプトで発見された子供の靴下 エジプトで発見された子供の靴下

エジプトで発見された子供の靴下(4~5世紀)

この時代を背景にしたオペラやバレエを見れば、左右色違いの長靴下をレースなどで胴着に結びつけたカラフルな男性ファッションが登場します。1500年代に入ると半ズボンが流行し、ももまでの長いホースは脚の下半分のものになりました。さらに1800年代に入ってズボンが長くなると靴下が目立たなくなり短い靴下の時代に入りました。女性は長いスカートを履いていたため靴下の見せ所がありませんでしたが、19世紀末にスカート丈の短い服が流行してから、女性のファッションとして靴下が始まりました。

布製からニット製へ

HISTORY 03

1547年にヘンリー八世(英国王)への贈り物として手編みの絹靴下が記録されています。この記述がニット靴下を記した最古の記述です。当時スペインはヨーロッパ最大の富国で全ヨーロッパの服飾流行のメッカでもあり、履き心地のよい手編みの絹靴下はスペインからイギリス、フランスへと瞬く間に広がっていきました。
ヘンリー八世の後を継いだエリザベス女王などは、はじめて手編みの絹靴下を履いた時「もう二度と布製のものは履きたくない」と言われたそうです。(J・ストーの「イギリス年代記」より)

エリザベス1世が履いた手編みの靴下

エリザベス1世が履いた手編みの靴下

靴下が機械編みできるようになったのは1589年のイギリス人副牧師ウィリアム・リーによる手動式メリヤス編み機発明によるもので、これは人類最初の画期的な編物機械でした。
それから280年後に産業革命の波にのってウールや木綿のストッキングが大量生産されるとともに急速に普及することになりました。

会社案内

Company Profile

社名
馬見靴下事業協同組合
設立
昭和26年7月24日
代表者
吉岡 廣一
所在地
〒635-0824 
奈良県北葛城郡広陵町疋相6-1
TEL / FAX
Tel. 0745-55-1231
Fax. 0745-55-0322
社員数
15名
事業内容
レッグウェアの卸売・ニット製品の製造・販売・
オリジナルブランド:カサネラボの展開
取引先銀行
商工中金 奈良支店
南都銀行 馬見支店
三菱UFJ銀行 大和高田支店
馬見靴下事業協同組合組合外観
加工の様子
糸

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